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東京地方裁判所 平成8年(ワ)8627号 判決

原告(脱退)

ロシュ ホールディング アーゲー

右代表者

ハンスールドルフ ウイドマー

フェリックス アムライン

脱退原告ロシュ ホールディング アーゲー承継参加人(以下「参加人」という。)

エフ ホフマンーラ ロッシュ アーゲー

右代表者

ダブリュー メッツガー

ジー ブンツ

右訴訟代理人弁護士

久保田穣

増井和夫

又市義男

右訴訟復代理人弁護士

橋口尚幸

被告

アムジェン株式会社

右代表者代表取締役

吉田文紀

右訴訟代理人弁護士

品川澄雄

片山英二

井窪保彦

佐長功

北原潤一

右補佐人弁理士

松居祥二

小林純子

主文

参加人の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は参加人の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、別紙目録記載のコンセンサス・インターフェロンについて臨床試験を中止せよ。

二  被告は、右インターフェロンを製造し、販売してはならない。

第二  事案の概要

一  本件は、後記二1の特許権を共有する参加人が、別紙目録記載の物質(以下「コンセンサス・インターフェロン」という。)を使用して薬事法に基づく製造承認または輸入承認を取得するための臨床試験を行っている被告に対し、被告は右臨床試験を行うことにより右特許権を侵害しており、将来コンセンサス・インターフェロンを製造販売することにより右特許権を侵害するおそれがあるとして、臨床試験の中止及びコンセンサス・インターフェロンの製造販売の差止めを請求する事案である。

二  争いのない事実

1  参加人は、次の特許権(以下「本件特許権」といい、特許請求の範囲第一項の特許発明を「本件発明」という。)を、アメリカ合衆国法人であるゲネンテツク インコーポレーテツドと共有している。

特許番号 第一八三一七六九号

発明の名称 成熟ヒト白血球インタフエロンのアミノ酸配列含有ポリペプチド

出願年月日 昭和五六年七月一日

出願公告年月日 昭和六三年一一月三〇日

登録年月日 平成六年三月二九日

優先権主張 アメリカ合衆国

一九八〇年七月一日出願

一九八〇年九月八日出願

一九八〇年一一月一〇日出願

一九八一年四月二一日出願

特許請求の範囲 宿主として原核細胞を用い、ヒト白血球由来の遺伝子の発現により得ることができる組換え成熟ヒト白血球インタフエロンであって、一六五―一六六個のアミノ酸を有し、部分アミノ酸配列Cys―Ala―Trp―Glu―Val―Val―Arg―Ala―Glu―Ile―Met―Arg―Serを含み、かつ一一四位にアミノ酸Asp、GluまたはValの一つを有し、このインタフエロンの第一番目のアミノ酸のN末端にメチオニンが結合している場合は、一六六―一六七個のアミノ酸を有し、かつ一一五位にアミノ酸Asp、GluまたはValの一つを有することを特徴とする組換え成熟ヒト白血球インタフエロン。

2  本件発明の構成要件は、次のとおり分説される。

a 宿主として原核細胞を用い

b ヒト白血球由来の遺伝子の発現により得ることができる

c 組換え成熟ヒト白血球インタフエロンであって

d 一六五―一六六個のアミノ酸を有し

e 部分アミノ酸配列Cys―Ala―Trp―Glu―Val―Val―Arg―Ala―Glu―Ile―Met―Arg―Serを含み

f 一一四位にアミノ酸Asp、GluまたはValの一つを有し

g このインタフエロンの第一番目のアミノ酸のN末端にメチオニンが結合している場合は、一六六―一六七個のアミノ酸を有し、かつ一一五位にアミノ酸Asp、GluまたはValの一つを有すること

3  被告は、コンセンサス・インターフェロンを使用して薬事法に基づく製造承認及び輸入承認を取得するための臨床試験を行っている。

4  コンセンサス・インターフェロンは、本件発明の構成要件a、d、e、fを充足する。

三  争点

1  被告がコンセンサス・インターフェロンを使用して行っている臨床試験は、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」にあたるか。

2  被告は、将来コンセンサス・インターフェロンを製造販売することにより本件特許権を侵害するおそれ(特許法一〇〇条一項)があるといえるか。

3  本件特許権は、本件発明が本件特許権の出願前に公知であったことにより無効か。

4  コンセンサス・インターフェロンは本件発明の構成要件bを充足するか。

5  コンセンサス・インターフェロンは本件発明の構成要件cを充足するか。

四  争点についての当事者の主張

1  争点1について

(一) 参加人の主張

被告がコンセンサス・インターフェロンを使用して行っている臨床試験は、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」にあたらない。

(二) 被告の主張

被告は、コンセンサス・インターフェロンについて、既存の医薬品とは異なる新しい薬効を有する新薬として薬事法一四条一項に基づく製造承認及び同法二三条に基づく輸入承認を得ることを目的として臨床試験を行っているが、右臨床試験は、既存の医薬品の薬効自体の改良を目的とするもので、技術の進歩を目的としたものであるから、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」にあたる。

2  争点2について

(一) 参加人の主張

被告は、将来コンセンサス・インターフェロンを製造販売することにより本件特許権を侵害するおそれがある。

(二) 被告の主張

被告がコンセンサス・インターフェロンを使用して行っている臨床試験は、現在、第三相試験の段階にある。右の第三相試験は、患者へ六か月間投与し、投与終了後の治療効果をみるとともに、投与終了から六か月経過した後の症状についても検討することとなっているため、一人の患者に少なくとも一年を要する。平成九年七月に患者への投与が開始されており、最初の投与開始から六か月の間に、試験に必要なすべての患者に対する投与を開始することになっているため、最後の患者に対する投与は、同年一二月に予定されている。そこで、最後に投与した患者に関する治験期間が終了するのは、平成一〇年一二月となることが予定されている。その後データの整理、分析が行われて資料が整えられ、治験上の有用性が認められた場合に、製造承認または輸入承認を行う予定であるところ、すべてのスケジュールが順調に進めば、平成一一年一月ないし三月ころ右申請を行うことになる。申請があってから承認が行われるまでに一般に二年ないし三年を要するので、臨床試験の結果が好ましいものであり、かつ審査が順調に行われれば、平成一三年六月ないし九月ころに承認が得られると予想される。承認の取得後、薬価に関する交渉を経て製造販売を開始することから、製造販売の開始は、早くとも同年九月ないし一二月ころになると予想される。

本件特許権の存続期間の満了は平成一三年七月一日であり、コンセンサス・インターフェロンの製造販売の開始は、早くともその後の同年九月ないし一二月と予想されることから、被告がコンセンサス・インターフェロンを製造販売することにより本件特許権を侵害するおそれはない。

3  争点3について

(一) 被告の主張

(1) 特許が物の発明について与えられている場合、その物が公知であることが明らかにされたとき、そのような特許権の行使を認めることは正義に反する。その技術的範囲を厳格に特許請求の範囲に記載された文言のみによって定める範囲に限定すべきであるとする見解、実施例にのみ限定されるべきであるとする見解、さらに、特許権に基づく差止請求は権利の濫用であって許されないとする判決例もあるが、いずれにせよ、そのような特許権の行使を認めず、侵害の成立を否定しようとすることにおいてはいずれの解釈も軌を一にしている。

(2)① 本件発明の構成要件aに「宿主として原核細胞を用いる」と定められているのは、ヒト白血球インターフェロンのうち糖鎖を有しないものだけが本件発明の対象であることを意味している。このような糖鎖を有しない成熟ヒト白血球インターフェロンが天然に存在することは、昭和五三年(一九七八)年発行の雑誌「スカンジナビアン ジャーナル オブ イムノロジー」八巻(乙第一号証の三)、昭和五四(一九七九)年発行の雑誌「ヴィロロジー」九七巻(乙第二号証)、同年発行の雑誌「プロシーデジングス オブザ ナショナルアカデミー オブ サイエンシス USA」の同年二月号(乙第四号証)、昭和五〇(一九七五)年一一月発行の雑誌「ジャーナル オブヴィロロジー」一六巻(乙第七号証)など本件特許権の出願日前に発行された刊行物に記載されており、公知であった。

本件発明は物の発明であるから、目的物が組換え技術によって得られたものであるか天然のものであるかを問わず、本件特許権の出願前に公知であった物が本件発明の対象物と同一であれば、本件発明は公知であるというべきところ、両者は、糖鎖のないインターフェロンとして同一であるから、本件発明は出願前に公知であったということができる。

② 本件特許権の特許請求の範囲には、一六五―一六六個のアミノ酸を有すること(構成要件d)、部分アミノ酸配列Cys―Ala―Trp―Glu―Val―Val―Arg―Ala―Glu―Ile―Met―Arg―Serを含むこと(構成要件e)、一一四位にアミノ酸Asp、GluまたはValの一つを有すること(構成要件f)が記載されているが、これらは、本件発明にかかる成熟ヒト白血球インターフェロンにのみ特有の特徴ではないから、これを特徴としてあげることによって、本件発明にかかる組換え成熟ヒト白血球インターフェロンが新規性を備え公知でなくなるわけではない。

(3) したがって、本件特許権は、本件発明が本件特許権の出願前に公知であったことにより無効であり、その行使は認められず、その侵害の差止めは認められない。

(二) 参加人の主張

(1) 本件特許権の無効は特許庁で論じるべきことであって、特許権侵害訴訟である本訴において論じるべきではない。

我が国の法制においては、特許無効は特許庁での無効審判で争うのが原則であり、被告が本件特許権の無効を信じるのであれば、まず無効審判を請求すべきであり、無効審判を請求しないで特許権侵害訴訟においてのみ無効を主張するのは、被告が本件特許権の無効に確信をもっていないことを物語っている。

(2) 本件発明は、原核細胞を用いて作ったものであることを要件にしているから、天然のヒト白血球から産生されるインターフェロンとは重複せず、したがって、被告のいうように天然のヒト白血球インターフェロンに糖鎖がないものが存在したとしても、それによって本件発明の新規性が失われるわけではない。

(3) 昭和五三(一九七八)年発行の雑誌「スカンジナビアン ジャーナルオブ イムノロジー」八巻(乙第一号証の三)は、本件特許権の特許請求の範囲に掲げられたアミノ酸配列をもったインターフェロンを開示していない。昭和五〇(一九七五)年一一月発行の雑誌「ジャーナル オブ ヴィロロジー」一六巻(乙第七号証)において白血球インターフェロンは糖タンパクではないといっているのは、全くの推測であり、実際にそのようなものを取り出したわけではない。昭和五四年(一九七九)年発行の雑誌「プロシーデジングス オブ ザ ナショナルアカデミー オブ サイエンシス USA」の同年二月号(乙第四号証)によっては、アミノ酸配列は判明していない。昭和五四年(一九七九)年発行の雑誌「ヴィロロジー」九七巻(乙第二号証)は、アミノ酸配列を示していないのみならず、グリコシル化阻害剤存在下で作られたインターフェロンは天然のものとは違うという認識を示しており、これは、むしろ、天然のインターフェロンは糖タンパクであることを示唆しているといえる。

したがって、被告の掲げる文献によって本件発明が出願前に公知であったということはできない。

4  争点4について

(一) 参加人の主張

(1) 本件発明の構成要件bは、人の白血球由来の遺伝子の発現により得ることができることを意味する。

コンセンサス・インターフェロンを産生する遺伝子(プラスミドに挿入され、大腸菌に保持させたもの)は、ヒト白血球のインターフェロンの遺伝子を組み合わせたものであるから、コンセンサス・インターフェロンは構成要件bを充足する。

(2) コンセンサス・インターフェロンは、白血球インターフェロンの各サブタイプのアミノ酸配列を比べて、同じ位置ですべてに共通しているアミノ酸はそのまま採り、サブタイプによって違っているものは過半数のサブタイプにある優勢なものを採ることによって作られたから、各位置において白血球インターフェロンに見られないアミノ酸は含まれていない。

したがって、コンセンサス・インターフェロンは、ヒト白血球由来の遺伝子の発現により得ることができるインターフェロンである。

(3) コンセンサス・インターフェロンは、本件発明の技術思想を利用したものである。本件特許権の明細書(以下「本件明細書」という。)の詳細な説明に天然に得られるインターフェロンだけが記載されていたとしても、そのことにより、特許請求の範囲が限定されるわけではなく、特許請求の範囲に記載された形のインターフェロンであれば、天然に得られたか、人工的に得られたかを問わず、本件発明の技術的範囲に属する。

(4) 「由来」とは、「から得られた」という意味ではなく、「よって来るところ」、「から来た」という意味である。本件発明においても、宿主に入れる遺伝子そのものを白血球から取り出したのではなく、取り出したのはmRNAであるから、構成要件bの「由来」の意味を「から得られた」と解することはできない。「白血球由来の遺伝子」とは、「源を白血球に発する遺伝子」という意味である。

(5) 本件特許権の出願当時、DNAを化学合成することは可能であったし、本件明細書では、DNAの断片を作るために化学合成をし、あるいは化学合成が採用し得ることを示唆しているので、コンセンサス・インターフェロンのDNAの断片を化学合成により作ることは、本件発明の技術的範囲から逸脱することにはならない。

(二) 被告の主張

(1) 「由来」とは、本件明細書中の記載や遺伝子工学の分野の他の出願の例からして、その出自を限定する趣旨で「から得られた」という意味と解すべきであり、構成要件bにいう「ヒト白血球由来の遺伝子」とは、「ヒト白血球から得られた遺伝子」のことを意味する。他方、コンセンサス・インターフェロンをコードしこれを発現するDNAは、全く人工的に設計し合成されたものであり、その配列は、ヒト白血球中に存在するいかなるDNA配列とも異なっており、ヒト白血球中に存在するDNAをクローニングすることによっては決して得られない。したがって、コンセンサス・インターフェロンは構成要件bを充足しない。

(2) DNA配列を人工的に作り出す方法としては、所望のDNA配列と既存の遺伝子群のDNA配列とを比べ、共通している部分を制限酵素によって切断し、このようにして得られた複数の断片を酵素的に結合して得る方法(酵素的合成法)と、一つ一つのヌクレオチドを化学的に縮合させ、塩基鎖を伸長させる方法(化学的合成法)とがある。しかし、本件特許権の優先権主張日当時の技術水準では、いずれの方法によってもインターフェロンをコードするような五〇〇bpsもの長さを有するDNA配列を得ることは当業者にとって不可能であった。

5  争点5について

(一) 参加人の主張

(1) 本件発明の構成要件cは、遺伝子組換え技術を用いて得られるものを対象とし、先行配列を有しないで必須のアミノ酸配列から直ちに始まるもので、糖(グリコシル基)が付いていないものであることを意味する。コンセンサス・インターフェロンは、組換えヒト白血球インターフェロンであることは自明であり、かつ、それは、先行配列を有せず糖が付着していない「成熟」インターフェロンである。

したがって、コンセンサス・インターフェロンは、「成熟」インターフェロンである。

(2) インターフェロン研究の初期においては、インターフェロンは産生細胞名を頭につけて特定しており、白血球から得られたものを白血球インターフェロンと命名していたが、その後、インターフェロンには、主として白血球から産生されるもの、主として線維芽細胞から産生されるもの、主として免疫細胞から産生されるものの三種類があること、同じ細胞から少量の別の種類のインターフェロンを産生することなどがわかり、昭和五五(一九八〇)年の国際命名委員会において、インターフェロンを免疫特異性によって分類することとなり、従来、主として白血球から産生することから「白血球インターフェロン」と呼ばれていたインターフェロンを、「インターフェロンα」と呼ぶことが提唱され、以後、それに従った用語法がなされているから、本件発明の「白血球インターフェロン」は、インターフェロンαと同一である。コンセンサス・インターフェロンは、インターフェロンαのアミノ酸配列に関する従来の知見をもとに作られたので、「白血球インターフェロン」にあたる。

(3) したがって、コンセンサス・インターフェロンは構成要件cを充足する。

(二) 被告の主張

(1) 「成熟」という用語は、天然のポリペプチドと同じアミノ酸配列を有するポリペプチドを人工的に作る際、シグナルペプチドが発現せず必須部分である本来の活性部位のみを得ることができた場合、これを「成熟」と呼び、そうでない場合と区別しているのであり、遺伝子工学の手法により得られた天然のアミノ酸配列を有するタンパク質に関して用いられる用語である。コンセンサス・インターフェロンは人工的に設計された非天然のアミノ酸配列を有するポリペプチドであり、右に対応する天然のポリペプチドは存在しないから、コンセンサス・インターフェロンについては、「成熟」か否かは、論じる余地のない概念である。

(2) 「白血球インターフェロン」とは、産生される細胞に着目したインターフェロンの命名法による名称であり、白血球細胞中で産生されるものでなければならない。これに対し、インターフェロンαは、免疫特異性に着目してインターフェロンを分類した型の名称であり、白血球インターフェロンとインターフェロンαは、同じ意味ではない。

コンセンサス・インターフェロンのポリペプチドは、インターフェロンαのアミノ酸配列に関する従来の知見をもとに全く新規なアミノ酸配列をデザインし獲得した人工的なポリペプチドであって、インターフェロンαのサブタイプのいずれとも異なる配列を有するインターフェロンであり、ヒト白血球細胞中では一切作られないから、「白血球インターフェロン」にはあたらない。

(3) したがって、コンセンサス・インターフェロンは、「組換え成熟ヒト白血球インタフエロン」ということはできず、構成要件cを充足しない。

第三  争点に対する判断

一  争点1(被告がコンセンサス・インターフェロンを使用して行っている臨床試験は、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」にあたるか。)について

1 特許法六九条一項は、「特許権の効力は、試験又は研究のためにする特許発明の実施には、及ばない。」旨を規定する。

特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有し(特許法六八条本文)、特許権は、独占排他権であるから、特許権者の了解なくして特許発明を業として実施することは原則としてできない。他方、特許法の目的が、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する(特許法一条)ことにあることからすれば、独占権である特許権の効力も、特許権者の利益と発明を利用する第三者ないし社会一般の利益との調和を図るという産業政策上の見地から制限されることがある。

そこで、特許法六九条一項は、試験又は研究のためにする特許発明の実施について、特許権の効力が及ばない旨を明らかにしているところ、右法条の立法趣旨は、特許権の効力を試験又は研究のためにする特許発明の実施にまで及ぼしめることは、かえって技術の進歩を阻害し、産業の発達を損なう結果になるため、これを制限すべきであるとの産業政策上の判断によるものと解される。

右のような立法趣旨に鑑みると、特許法六九条一項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するか否かについては、特許権者の利益と第三者ないし社会一般の利益の調整を図るという観点からこれを比較考量して決すべきものと解される。

したがって、薬事法に基づく医薬品の製造承認申請のため行う臨床試験が、同項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するか否かについては、特許法の解釈と薬事法による医薬品製造承認制度の整合性を考慮しつつ、特許権者の利益と第三者ないし社会一般の利益の調整を図るという観点に立って判断すべきものと解される。

2(一) 医薬品については、薬事法による規制を受けるものであるところ、同法によれば、医薬品等を製造しようとする者は厚生大臣の承認を受けることを要するものであり(薬事法一二条一項、一三条一項、一四条)、厚生大臣は、医薬品等につき、これを製造しようとする者から申請があったときは、品目ごとにその製造についての承認を与え(同法一四条一項)、その承認は、申請に係る医薬品等の名称、成分、分量、構造、用法、用量、使用方法、効能、効果、性能、副作用等を審査して行う(同条二項)ものとされ、右承認を受けようとする者は、厚生省令で定めるところにより、申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならない(同条三項)旨規定されている(なお、医薬品の輸入販売業にも、薬事法二三条によって製造承認に関する規定が準用されているため、輸入承認についても、製造承認と同様に解することができる。)。

薬事法は、医薬品等の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、医療上特にその必要性が高い医薬品等の研究開発の促進のために必要な措置を講ずることにより保健衛生の向上を図ることを目的とする(薬事法一条)ものであり、同法に基づく医薬品の製造承認のための審査は、医薬品の有効性や安全性の確保を目的とする、極めて公益性の強いものであって、その承認申請に添付すべき審査資料を得るため、前記各種試験が要求されるのも、同様に医薬品の有効性や安全性を確保し、国民の保健衛生の向上を図るという目的を達成するためである。

(二) 医薬品の製造承認申請書に添付しなければならない資料の範囲、内容は、以下のとおりである(薬事法施行規則一八条の三及び昭和五五年五月三〇日薬発第六九八号薬務局長通知「医薬品の製造又は輸入の承認申請に際し添付すべき資料について」)。

すなわち、承認申請にかかる医薬品は、(1)新有効成分含有医薬品、(2)新医療用配合剤、(3)新投与経路医薬品、(4)新効能医薬品、(5)新剤型医薬品、(6)新用量医薬品、(7)剤型追加に係る医薬品、(7の2)類似処方医療用配合剤、(8)その他の医薬品の九種類に分類され、その区分にしたがって、イ 起原又は発見の経緯及び外国における使用状況等に関する資料、ロ 物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料、ハ 安定性に関する資料、ニ 急性毒性、亜急性毒性、慢性毒性、催奇形性その他の毒性に関する資料、ホ 薬理作用に関する資料、ヘ 吸収、分布、代謝及び排泄に関する資料、ト 臨床試験の試験成績に関する資料の添付が必要とされる。このうち(1)から(7の2)までは、従来の医薬品に対して何らかの意味で新しい改良点が含まれているため、右の新しい改良点について、医薬品としての効果を知り、副作用等も含めて、真に医薬としての効果があるのか否かということを明らかにするために、臨床試験の試験成績に関する資料の添付が要求されている(乙第一三号証)。

(三) 右の臨床試験の試験成績に関する資料の収集を目的とする試験の実施は、少数の健康人志願者を対象に安全性のテストを行う第一相試験(フェーズ1)、同意を得た少数の患者にどのような病気に使えるか、与える量、使い方などをテストし、安全性と有効性を確認する第二相試験(フェーズ2)、同意を得た多数の患者に既存薬などと比較して新薬としての安全性と有効性を検査する第三相試験(フェーズ3)の三段階から成り立っている(弁論の全趣旨)。

(四) コンセンサス・インターフェロンについては、現在、臨床試験のうち第三相試験が行われているところ、これまで行われた第二相試験により、コンセンサス・インターフェロンは、従来臨床に用いられてきたヒト白血球インターフェロン製剤のいずれとも異なる顕著な治療効果を示し、特にこれまでインターフェロンによる治療が不適とされていた高ウィルス血症の患者のウィルス陰性化率を大きく改善することが明らかになってきたとされている(乙第一六号証、弁論の全趣旨)。

コンセンサス・インターフェロンについては、被告の親会社であるアムジェンを特許権者とする物質特許及び製法特許が成立しており(甲第四号証、弁論全趣旨)、これまで行われた臨床試験により、コンセンサス・インターフェロンに従来の医薬品になかった新たな薬効のあることが既に明らかにされており、今後の臨床試験により、新たな薬効のあることがさらに確実に裏付けられる可能性もある。

(五) 医薬品の製造販売をする際に製造承認申請を要するのは、前記のとおり安全な医薬品の提供という行政目的に基づくものであり、薬事法の規制は特許法とその目的を異にするものである。また、製造承認が得られるまでにある程度の期間を要するのも、行政上の事務処理に一定の時間がかかるといった事実上の要因によるものであって、特許権者に対する独占権の付与という特許法の趣旨とは全く無関係の結果といわざるを得ない。かかる薬事行政上の取扱いによって、結果的に特許権者が特許期間を延長したのと同様の利益を享受できることがあるとしても、それは右行政上の取扱いによって生じる事実上の利益にすぎず、いわば反射的利益であって、特許法が保護する利益にはあたらない。

3 これらの事情に鑑みると、被告がコンセンサス・インターフェロンを使用して行っている臨床試験は、医薬品の有効性及び安全性の確保という極めて公益性の強い目的を有するものであり、従来の医薬品になかった新たな薬効があることを確認することにより医薬品分野の技術の進歩にも寄与するものであるということができ、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当すると認めるのが相当である。

したがって、仮にコンセンサス・インターフェロンが本件発明の技術的範囲に属するものであるとしても、コンセンサス・インターフェロンを用いた臨床試験を行うことには、本件特許権の効力が及ばないというべきである。

4  よって、コンセンサス・インターフェロンについての臨床試験の中止を求める原告の請求(請求の趣旨第一項)は、理由がない。

二  争点2(被告は、将来コンセンサス・インターフェロンを製造販売することにより本件特許権を侵害するおそれがあるといえるか。)について

1 特許権者又は専用実施権者は、自己の特許権又は専用実施権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる(特許法一〇〇条一項)ところ、侵害予防請求の要件としての「侵害するおそれ」には、侵害が発生するであろうことの具体的事実の存在が必要であり、このような「侵害するおそれ」は、口頭弁論終結時に存在することを要するものと解される。

2(一) 前記一2(一)認定のとおり、業として医薬品の製造をするためには、製造する医薬品の品目ごとに厚生大臣の承認を受けなければならないこととされているから、医薬品を業として製造するためには承認が不可欠であり、そして、承認を受けるためには、その前提として、承認を申請することが必要である。

(二) 本件訴訟が提起された平成七年一二月当時、被告は、コンセンサス・インターフェロンにつき、第二相試験を行っており、口頭弁論を終結した平成九年一一月現在、第三相試験を行っているものであるところ、右の第三相試験は、多様な病態や合併症をもつ患者への適応、外来患者への適応、併用薬剤との相互作用、病態による用量の違い、同一患者に対する反復治療など多用な状況下での安全性と有効性の確認を行うことを目的とする試験であることから、患者へ六か月間投与し、投与終了後の治療効果をみるとともに、投与終了から六か月経過した後の症状についても検討することとなっており、一人の患者につき少なくとも一年を要する(弁論の全趣旨)。

被告は、平成九年七月、第三相試験として患者への投与を開始し、最初の投与期間から六か月の間に試験に必要なすべての患者に対する投与を開始することになっているため、最後の患者に対する投与は、同年一二月に予定されており、そこで、最後に投与した患者に関する臨床試験が終了するのは、平成一〇年一二月となることが予定されている(弁論の全趣旨)。臨床試験の結果が望ましいものであった場合、その後データの整理、分析が行われて資料が整えられたうえ、製造承認申請に至るものであるところ、製造承認申請が行われるのは、平成一一年一月から三月にかけてであるものと推認される。

臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して製造承認申請を行った後、中央薬事審議会の審査を経て製造承認が行われるが、申請から承認に至るまで通常は二年六か月程度の期間を要する(弁論の全趣旨)。

したがって、製造承認は、平成一三年七月から九月にかけて行われるものと推認される。

3 右認定の事実によれば、コンセンサス・インターフェロンについては、被告の臨床試験により、医薬品としての有効性及び安全性が確認されてはじめて製造承認申請が行われることになるのであって、臨床試験が順調に行われかつ良好な結果が出たとしても、申請が行われるのが、平成一一年一月ないし三月であり、製造承認を得ることができるのも、審査が順調に行われることを前提として平成一三年七月から九月にかけてであるというのであって、さらに現実に販売するには薬価収載等の手続が必要であることに鑑みると、現段階においては、そもそも、被告が製造承認申請を行うことになるか否か、製造承認申請を行う医薬品が別紙目録記載のとおりのものであるか否か、別紙目録記載のとおりの医薬品が製造承認を得られるか否か、製造承認を得て被告が製造販売を行うことになるか否か、製造販売を開始する時期がいつになるのか未だ確定していないものといわざるを得ず、製造販売開始の時期に本件特許権が存続しているか否かも明らかではない。

他方、本件特許権は、平成一三年七月一日に存続期間が満了し(特許法六七条)、それ以降は、参加人において本件特許権に基づき侵害の停止または予防を請求することができない(同法一〇〇条)。また、被告が現在行っている臨床試験が本件特許権の侵害行為にあたらないことは前記認定のとおりである。

してみると、仮にコンセンサス・インターフェロンが本件発明の技術的範囲に属するとしても、被告が製造承認を取得後、現実にコンセンサス・インターフェロンの製造販売を開始する時期に参加人の本件特許権が存続期間満了により消滅している蓋然性もある本件において、未だ製造承認申請すらしていない現段階においては、侵害が発生するであろうことの具体的事実が存在すると認めるに足りず、したがって、未だ侵害予防請求権の発生の基礎をなす事実上及び法律上の関係が存在するとはいえない。よって、現段階において「侵害のおそれ」があると認めるに足りないものといわざるを得ない。

4  したがって、現段階において本件特許権に基づいてコンセンサス・インターフェロンの製造販売の差止め(請求の趣旨第二項)を求めることはできない。

三  結論

以上によれば、その余の点につき判断するまでもなく、参加人の請求は、いずれも理由がない。

(裁判長裁判官髙部眞規子 裁判官榎戸道也 裁判官中平健)

別紙物件目録〈省略〉

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